AVRO, CC BY-SA 3.0 NL, via Wikimedia Commons
デヴィッド・ボウイが亡くなり、わが家の追悼イベントとして、子供にも協力してもらい、ぬりえ会を開催した。
何をしてもサマになったボウイ
2016年1月10日、デヴィッド・ボウイがこの世を去った。享年69歳。
惜しい。70代、80代と、まだ見ぬカッコよさを開花させる予定だったのに。
若い頃も年を重ねても、とにかくサマになっていたボウイ。その秘密のひとつが、演じ分けたペルソナの数々だ。ボウイは人生を通じて何人もの“自分”を演じた、セルフ・多重人格アーティストである。
中でも有名なのは、1972〜73年の「ジギー・スターダスト」期。
「異星からやって来た地球の救世主ジギー」というトンデモ設定をあそこまでサマにしてしまったのはボウイだけ。日本ではミッチー(及川光博)とか、ゆうこりん(小倉優子)あたりが続いてるけど、宇宙のオリジナルはボウイだ。
訃報のとき、ニュース番組やネット記事がこぞって使っていたのも、このジギー期の映像だった。山本寛斎デザインのド派手ジャンプスーツで『スターマン』を歌う、救世主の姿。
回顧展『DAVID BOWIE is』も、キービジュアルはやっぱりこれ。ジギー期のアルバム『アラジンセイン』の、あの稲妻マークのメイク写真だ。

ちなみにこの稲妻メイク、元ネタは日本の炊飯器についていたナショナル(現パナソニック)のロゴらしい。電気釜のマークを顔に塗ってこんなにサマになる人間は、ハッキリ言って、ボウイしかいない。
ぬりえでジギーを追悼する
2016年、ボウイの訃報に接したわが家では、ジギーを星へと見送るイベントとして、追悼のぬりえ会を開催した。
準備したのは、『アラジンセイン』のジャケット画像。線画にして、印刷して、みんなで塗る。

BGMはもちろん、ジギー期のライブ映像。「Starman」や「Ziggy Stardust」を流しながら、親はしんみりとボウイの顔に色をのせる。
息子(当時4歳)と娘(2歳)は、ボウイのことは特に何も知らないので、顔にいたずら書きができるぞ、とはりきってぬりえに向かう。


家族4人、それぞれ違う宇宙から来たジギーを完成させ、しめやかにボウイを星へ送り出した。

このぬりえの後、しばらくの間、息子はカッコいい欧米人の映像を見るたびに「…これってデビッド・ボウイ?」と確認するようになった。
坊やもついに、気づいてしまったのだ。“かっこいい”という概念の奥底に、ボウイがいるということに。