息子とのゆびずもうを「男同士の魂の闘い」に格上げする方法

子どもとあそぶ

息子とは、強い父親に憧れるものだ。だが、スタローンのように、腕相撲で息子を導くことは、とてもできそうにない。せめて、ひまつぶしのゆびずもうを、男と男の闘いにしたい。

スタローンが描く理想の父子像

シルヴェスター・スタローン主演の1987年公開映画『オーバー・ザ・トップ』は、映画史的にはさほど重要な作品ではないかもしれないが、アームレスリングという特殊な競技世界の魅力を広く世界に伝えたという点で、その使命を果たしたともいえる。

スタローン演じるリンカーン・ホークは、10年ぶりに再会した息子との心の溝を埋められずにいるコンボイトラック運転手。リンカーンのマッチョな言動に、温室育ちの息子はいちいちショックを受ける。だが、アームレスリングを軸に、二人の心は少しずつほぐれていく。最後にリンカーンは、ラスベガスでのアームレスリング世界大会に出場し、自分よりも大きな巨体のアームレスラーに立ち向かっていく。すべては息子との絆のために―。

予告編でほぼ映画全編のストーリーがわかってしまうパターン

そう、この映画は「腕相撲の映画」だと一般的には思われているが、実は父と子がテーマだ。

スタローンの出世作といえば、脚本・主演を務めたアカデミー賞受賞作『ロッキー』だが、スタローン演じるプロボクサーのロッキー・バルボアは、シリーズ二作目の『ロッキー2』で子供が生まれてパパになり、次の『ロッキー3』では妻と息子とともに幸せな人生を送るチャンプになった。このロッキー・シリーズではあまり深く踏み込めなかった「父と息子の関係」に、スタローンが改めてスポットを当てて取り組んだ映画が、『オーバー・ザ・トップ』なのである

おそらくスタローンが脚本執筆の段階で意図していたのは、『ロッキー』のような人間ドラマを軸とした映画だったのではないかと思う。彼が理想とする父と子の関係は、こういう姿なのかな、と考えながら見ると、セリフの一つ一つが趣き深い。(映画公開時にスタローンには10 歳と7歳の息子がいたそうだ)

とはいえ『オーバー・ザ・トップ』は、1980年代キャノン・フィルムズならではのB級ドハデ路線で演出が突き進んだため、映画の中で父子関係はほとんど後景化してしまっている。その代わりに前面に登場したのがアームレスリングだ。本物のアームレスラーやプロレスラーたちが多数出演し、彼らのリアルな上腕二頭筋が画面いっぱいに映し出され、汗と血管ともにググっと盛り上がる筋肉同士がぶつかり合う、格闘技映画になった。結果的には、息子が憧れ、男が惚れる「強い父親像」が、スタローンの腕っぷしによって表現されることになった。

Bitly

Blu-rayのジャケット のイラストも「筋肉+コンボイ+カーアクション」で、親子要素はゼロだ

スタローンになれないが指だけでもマッチョに

息子のために人生を賭けて巨漢レスラーに腕相撲で挑む。そんなマッチョな父親根性は全くない僕らが、息子のためにできることは何か。レストランの行列に並んでいるときに、ヒマを持て余している息子と、ゆびずもうで遊ぶことくらいだ。

ゆびずもうを、せめてイメージだけでも、スタローンのように男同士が魂をぶつけ合う戦いにしたい。その方法が、親指に格闘家の絵を描いて行う「おやゆび世界タイトルマッチ」だ。

使い捨てゴム手袋が家にあるなら、指にお気に入りの格闘家を描いて切り取る。これを持ち歩き、いざ、ゆびずもうという場面になったら、さっと指にはめる。これにより息子とのゆびずもうは、ひまつぶしではなく、「人生を賭けた男の闘い」へと姿を変える。

使い捨てのゴム手袋を使う
指にアンドレザジャイアントのあまり似てない絵を描く

例えば、アンドレ・ザ・ジャイアントとスタン・ハンセンの世紀の一戦の完成だ。

この場合、相手の指を押さえ込んで10を数えるルールではなく、レフェリー(妻)に3カウントしてもらう3カウントピンフォールマッチにしても良い。

あるいは、ロッキー・バルボアとアポロ・クリードの世界ヘビー級タイトルマッチ。

指を押さえ込んで10を数えるときは、勝利への10カウントをイメージしよう。

猪木VS.アリ、メイウェザーVS.パッキャオ、ヒクソンVS.船木、ラオウVS.トキ・・・。お気に入りの一戦を再現するもよし。夢のマッチアップを実現するもよし。ゆびずもうは、親指カバーによって世紀のタイトルマッチへと変貌する。

息子よ、この親(指)を超えていけー。僕らが息子に見せられるマッチョ的父親像は、このへんが精いっぱいだ。


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