星に帰るデヴィッド・ボウイを、子供とぬりえで見送る

子どもとあそぶ

AVRO, CC BY-SA 3.0 NL, via Wikimedia Commons

デヴィッド・ボウイが亡くなり、わが家の追悼イベントとして、子供にも協力してもらい、ぬりえ会を開催した。

何をしてもサマになったボウイ

2016年1月10日、デヴィッド・ボウイがこの世を去った。

若い頃も、歳をとってからも、とにかくカッコよかったボウイ。

あのまま70歳代、80歳代とさらに歳を重ねていたら、見たこともないカッコよい老人になっていたに違いない。

遺作『ブラックスター』。68歳にしてこの前衛である

生涯を通してカッコよかったボウイは、活動期ごとに架空のキャラクター、ペルソナをいくつも演じた。

多くの人が思い浮かべるボウイのペルソナは、1972~73年の「ジギー・スターダスト」だろう。

「異星からやって来た地球の救世主ジギー」という設定は、その後にいろいろなフォロワーを生んだ(ミッチーもゆうこりんも然り)。

訃報に際して、メディアなどがとり上げた在りし日のボウイのイメージも、たいていは、このジギー期のものだった。山本寛斎の奇抜なジャンプスーツを身にまとった姿であり、『スターマン』を歌う映像だった。

1972年7月6日、BBC「Top Of The Pops」での『スターマン』の伝説的パフォーマンス

一周忌に公開されたライブドキュメンタリー映画も、タイトルそのまま『ジギー・スターダスト』だ。また、2013年から世界を巡回した大回顧展『DAVID BOWIE is』も、キービジュアルはやはりジギー期のアルバム『アラジンセイン』の、あの稲妻マークのメイク写真だった。

日本でのボウイ展はちょうど一周忌にやっていた。

この、稲妻メイクは、日本の炊飯器についていたナショナル(現パナソニック)のマークをモチーフにデザインしたものだそうだが、電気釜のマークを顔に塗ってこんなにサマになる人間は、ハッキリ言って、ボウイしかいない。

ぬりえでジギーを追悼する

2016年、ボウイの訃報に接したわが家では、ジギーを星へと見送るイベントとして、追悼のぬりえ会を開催した。

『アラジンセイン』のジャケットの輪郭線をペンでなぞったものを、ぬりえとして使った。

ジギー時代のライブ映像を流しながら、親はしんみりとぬりえに取り組む。

息子(当時4歳)と娘(2歳)は、ボウイのことは特に何も知らないので、顔にいたずら書きができるぞ、とはりきってぬりえに向かう。

ぬりえはうちの子供たちの大好物だ
息子は顔を緑色に塗った。緑の顔は「宇宙人」の定番だ。ナメック星人から、ニコチャン大王まで

家族4人、それぞれボウイの新たなペルソナを描き上げた。さらば、ジギー。

遺影的に壁に飾っておいた

このぬりえの後、しばらくの間、息子はカッコ良い雰囲気の欧米人の映像を見るたびに「…これってデビッド・ボウイ?」と聞いていた。坊やもボウイの良さに、なんとなく気づき始めたようだ。

この記事を書いた人
枕井仗二

執筆と編集の仕事をしています。妻と息子と娘の4人ぐらし。映画やSFやロックやマンガや超常やゲームへの愛を適度に紛れ込ませながら、子供と遊んでいます。

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